Wednesday, May 18, 2011

【オピニオン】原子力発電と戦艦大和

戦艦大和をどう思われますか? 役にたたなかった? 時代遅れの象徴? 敗戦の原因?
国家の存亡をかけて、莫大な国費を投入して建造した世界最大の戦艦。 ところが、太平洋戦争で殆ど成果を残せないまま、最後の沖縄への悲壮な特攻の為に沈んでしまった悲劇の戦艦。
この戦艦を日本の先見性のなさ、とイメージしている人は多いのではないでしょうか?

戦艦大和の建造は、1937年に始まりました。 設計思想は、工業生産力、資源小国の日本としては合理的でした。

近代戦争では戦艦同志の戦闘の勝敗で制海権が決定されましたから、「敵の戦艦の大砲が届かない距離から、こちらが一方的に大砲を撃って相手を沈める。そうすれば戦艦を多く保有していあなくても戦争にかてる。その為に、大きな戦艦をつくる」ということです。

太平洋と大西洋の2つの大洋を移動しなければならない仮想敵国、アメリカの艦船には、一つの制約がありました。それは、太平洋と大西洋に各々独立した海軍をもつ事は経済的に許されないアメリカの艦船は、必ずパナマ運河を通れて両大洋で運用できなければいけない、ということでした。パナマ運河を通過できる船の最大船腹は、32Mです。

大口径の大砲を搭載するには、横揺れで転覆しないように、艦船には相応の全幅が必要で、結局アメリカ軍は、32M以上の全幅を必要とする大砲を戦艦に搭載できない。

そう考えて、大和は全幅45M、 主砲46Cmを9門搭載し、最大42Km離れた敵艦を撃沈する、とう世界最大のものでした。 この主砲を実戦で安全に運用できるよう、様々な日本独自の技術や設計思想が盛り込まれました。又、船底に隔壁をいくつも作り、魚雷があたっても沈没しない戦艦として設計されました。(不沈空母)これにより、相手戦艦の大砲の射程距離外から、大和は一方的に攻撃できる筈でした。

ところが、実際には航空機の技術進歩が目覚ましく、戦艦は航空機によって沈められてしまう、とということが皮肉にも日本軍によって証明されてしまったのです。(真珠湾奇襲や英国戦艦、プリンス・オブ・ウェールズやレパルスの撃沈)

ただ、海戦当時、誰も(アメリカ軍も、イギリス軍も日本軍も)航空機で艦隊を組む戦艦を撃沈できるとは、運用も含めて考えていませんでした。そして、これ以降、各国は航空機、及び航空母艦を必至になって建造する訳です。

日本軍も急きょ、開戦前の1941年11月には、戦艦をつくるのをやめ、潜水艦、航空機を優先して生産する事を決定、大和、武蔵に次ぐ第三番戦艦として建設されていた「信濃」を設計変更して、戦艦から航空母艦に変更。その他、とにかく、航空母艦の建設、他艦船の改造を試みるのですが、結局、戦争中に建設できた空母は数隻のみでした。

一方で、生産力の勝る米国は、1年で50隻の航空母艦を建設できた米軍と比べるべきもありませんでした。

結局、開戦前に設計、建造開始された戦艦大和は戦争末期、魚雷十数発、爆弾数十発を被弾し、2時間で沈没することになりました。ただ、最後の作戦でも、不沈艦として導入した技術力の効果は発揮され、最後の作戦に参加されて生き残った乗組員の方も「最初に魚雷を受けて傾いた艦が、しばらくたつと水平に戻っていく、ああ、この船は本当に不沈艦なのだと思った。」と証言されています。 これは、水平を保つために浸水した逆側の船底に自動注水する機構が働いたためで、この為、ある程度までの被弾をしても、航行速度、操舵、各砲の使用が継続できるように設計されていた為です。この意味でも、技術的には最高技術の戦艦であったと評価してもよいと思います。


長くなりましたが、原子力発電も同じです。 オイルショックによる苦い経験をした、石油資源をもたない日本が、最新の技術で脱石油依存を目指して原子力発電を推進してきた事は、現在の技術力を考えると妥当であったと思います。(その意味で、スケープゴートのように電力会社や原子力推進の全否定をする発言は、どうかと思います。)

検証されるべきは、果たして原子力の安全基準を適切に改訂し、相応の対策を打ってきたのか?
という事でしょう。そして、適切な対策を打つことによって、どの程度の安全性を確保できるのか再検証する必要があるでしょう。

その上で、今回のような、不幸にして1000年に一度の大災害もあることを考えると、万一の時にもっと制御しやすい技術を如何に開発していくのか、合理的に判断していく必要があると思います。

コストの安い電力の安定供給は、社会基盤の全てにITを使用している近代国家の基礎です。
あまりに感情的になる事なく、冷静に評価しつつ、次代の技術を作り上げていくべきだと思います。

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