1880年当時の新世代エネルギーの電気。 それまでのガス塔などの業界を一変させてしまった当時の新テクノロジーの電気。 このスタンダードが決まるまでには、実はエジソンとウェスティングハウスの熾烈な規格競争があった。 このスタンダード獲得競争は、純粋な科学的見地だけではなく、メディアを巻き込んだ熾烈な、非常に醜い競争だった。
この一連の発明を巡る競争を、
「They All Laughed...」
Fascinating Stories Behind the Great Inventions That Have Changed Our Lives
は、分かりやすく伝えている。
この本は、アメリカの公共放送(NPR)で長くサイエンスライターとして活躍する著者 Ira Flatowが、人々の生活を変えるような発明が、実際にはどのように過程で、世に生まれてきたかを青少年向けに書いた本だが、実に面白い。
まず最初に有名な電球の発明に関する話し。
電球を発明したのはエジソンだと、普通の人は思っているが、実は、エジソンは単に、より効率良く、長く燃える素材をみつけたに過ぎない、という事をこの本は明らかにしている。
By August 1879, a better quality bamboo, called Japanese bamboo, proved to burn longest. By the end of the year bamboo lamps were burning for 240 or more hours.
しかし、エジソンが発明されたと思われている電球と、全く同じ形、全く同じように真空にされたガラス管に、同じような馬蹄の形の電線で、照明がつけられることを、エジソンの15年も前にイギリスの発明家 Joseph Swanが証明している。 (彼は関連する特許も取得している。)
1879年7月、Joseph Swanが、それまで主に使われていたプラチナの変わりに、カーボン素材を使うと、電球は、より長く光り続けることができる、とアメリカの科学雑誌に発表した、その10月に、エジソンは、新しくカーボン素材を電線に使うことで、実用的な電球を発明したと発表したのだ。
(エジソンは、自分が発明した後で、この記事を読んだ、と主張している。)
これは、当然、特許紛争になったが、この種の紛争に慣れているエジソンは、法廷で決着をつけるよりも、電球のパテントを独占する会社をSwanと共同で設立することで、和解している。
Joseph Swanは言う、
Fifteen years ago, I used charred paper and card in the construction of an elecric lamp on the incandescent principle. I used it, too, in the shape of a horse-shoe, precisely as you say Mr. Edison is now using it.
では、何故、(イギリス人を除いた)世界中で、エジソンが電球を発明したと思われているのか?
それは、既に発明王として名前が知れ渡っていたエジソンを巡る米国メディアの影響力だという。
例えば、1879年12月のNew York Herald誌の記事
--Headline; Edison's light:
Scoop of the inside story of how Edison had succeeded in producing 'the perfected lamp.--
「Sitting one night in his laboratory reflecting on some of the unfinished details, Edison began abstractedly rolling between fingers a piece of compressed lampblack until it had become a slender filament. Happening to glance at it the idea occurred to him that it might give good resules as a burner if made incandescent. A few minutes later the experiment was tried, and to the inventor's gratification, satisfactory, although not surprising, results were obtained.」
著者は続ける。
What a great story! Except one ugly detail. There is no record of this legendary light bulb. Despite Edison being quoted as saying that this account of story is essentially true, records of the laboratory show nothing of great interest happening on October 21.
October 21 was considered as the day Edison discovered the secret of the incandescent lamp-carbon. For many years, that day has been celebrated as Electric Light Day by power companies.
発明をロマンティサイズしたい、新聞等のメディアやハリウッドが、エジソンが単独で電球を考えたというイメージを、世界中に植え付けたのだ、と言っている。
しかし、だからと言って、著者はエジソンを非難してばかりではない。
An invention is worthless if it only functions under laboratory conditions. Only Edison designed his lamp, from the beginning, to be part of a total electrical system the size of a city, complete with elecctric dynamos to produce the electicity and wires and fuses to distribute and control it.
エジソンは、単に電球を作るだけでなく、電球によって実際の街中を明るくしようと考えた。
そのためには、発電所だっているし、送電線も必要になる。 家庭で使うためのヒューズなどが、一連のシステムとなって初めて意味がある、と考えたところが、素晴らしい点だと指摘する。
そして、電気の話に続く。
ご存知のように、電気には2種類の周波数がある。DC(Direct Currency)とAC(Alternating Currency)だ。
DC電流による電力供給にエジソンは執拗に拘った。 Westinghouse氏(同じく当時の発明家であり事業家)は、AC電流のメリットに注目した。 ここから、二人の競争が始まることになる。
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