Saturday, June 18, 2011

電気の規格を巡る競争 (2) AC電流(ウェスティングハウス) VS DC電流(エジソン)

電球を発明した後、エジソンは、それに相応しい発電所、電気のケーブル、モーターなど、すべてDC電流で動くシステムを作り始めた。 そして、1887年には、エジソンは、NJに121もの発電所を建設、運営していた。 

エジソンより1歳年上のウェスティンハウスは、エジソンのいるニューヨークを避けて、ACによる電力事業を、米国南部や西部で開始した。

やがて次第に、ACによる良さが明らかになってきた。 DCで発電した電力は、わずか数マイルから送電する事ができない。 これ以上距離が離れると、電気はケーブルの中で単に熱に代わってしまうのだった。 これは、結局、各都市に一つ、発電所が必要になる、ということだった。 ところがACは、トランスフォーマーを使うことにより、電気を何十マイルも離れた場所に送電する事が出来た。 だから1つの発電所を作れば、複数の都市で、その恩恵を受けることができた。

でも当時、NYにACのシステムを作ることは、
Taking on Edison at his own game was like Toyota taking on GM in Detoroit.
だと表現されている。

その時、偶然起こった経済の異変が、その後の二人の競争に大きな影響を与えた。

In 1887 the price of copper began to rise sharply. Shortly after French syndicate cornered the copper market, it drve the price of copper up from nine cents per pound to twenty cents per pound.

DC systems relied hevily on fat copper wires to carry current. High copper prices meant the cost of installing DC systems would skyrocket. On the other hand, high voltage(two thousand volts) alternating current could still be carried on skinny copper wires. And perhaps in comparing the operating costs of the two systems, Edison now for the first time perceived AC to be real threat.

Now Edison faced a double-edged sword: the high cost of the copper wiring and the superiority of the AC system.

そこでEdisonは、AC電流が危険であることの、ネガティブ・キャンペーンを開始した、

In February 1888, Edison showered West Orange with red leaflets screaming A WARNING! FROM THE EDISON ELECTRIC CO. Each eighty-three page leaflet accused Edison Electric's competitors of being liars and thieves. The leaflet was intended to scare people. It listed unfortune souls who had fried to death in theater and factory accidents. Is this the kind of electricity you want to be using in your home? Any responsible parent would have to say NO.

BrownというDCに好意的な科学者(事実、彼自身、DCに関する複数の特許を持っている)を雇ってキャンペーンを始めた。

「高電圧を利用するACはDCに比べて危険だ。だから300Volt以下に規制しなくてはいけない」というのだ。 300Volt以下では、DCは、ACに対する優位性を失ってします。

そしてACの危険性を証明する為に動物実験を始めた。 近所の犬や猫に電気を流して、AC電流で動物が死んでしまう、という事を証明しようとした。 そして、DCは300vから、ACは1000Vを流して、犬や猫が、どのように死んでいくかを克明に記録して公表することにより、世の中にAC電流の危険性を訴えた。 そして、実際に、ニュースレポーターを大勢集めて、大型犬をAC電流で殺すという実験をした。

ところで、当時、NYでは、絞首刑について、議論があった。 首を吊る仕掛けに失敗して受刑者が不要に苦しむことがある。 これを、何とか改善したい、という動きがあった。そこで、諮問委員会で、電気によって人を処刑する(Electric Execution)事を検討したが、最初は、否決された。

そこで、Edison自身が、ACによる処刑が如何に人に苦痛を与えないか、ということを説明して、
議論は、大きく電気による処刑を実施することに傾いていった。

そして、1890年8月6日、 初めて実際に電気椅子によって人間が処刑されることとなった。
(Edisonは、電気で処刑することを、彼の競争者の名前をとって、Westinghouseと呼ぶことにしよう、と呼びかけた。 Let's westinghouse him!!と、言うように。)

電気椅子による処刑の結果は、それは、それは、苦痛がない、とうものとは程遠かった。

'The guillotine is better than the gallows., the gallows is better than electrical execution." is how Dr. E.C. Spitzka, attending physician and witness, phrased it.

しかし、1893年には、勝負はついてしまう。 Chicago World's Fairの電力システムに関する入札で完敗し、同年秋のNiagara Fallsの水力発電所が、ACになることが決定したため、エジソンは、DCに関する興味を失ってしまう。

そして、別の研究に没頭するべく、Menlo Parkの研究所に戻っていくのだった。

著者である、Ira Flatowは、この本の中で、一般に思われている発明者が、実際の発明者と異なるケースを多く紹介している。(有名な電話の開発に関する話。 テレビを本当の意味で開発したのは誰か、等)

多くの場合、特許紛争になるが、それでも技術は社会に入り込んで、世界を、人々の暮らしを変えていく。

この本を読むと、アメリカ人が如何に、こういう「発明によって世界を変える」ということに、昔から情熱を燃やしてきた事が良くわかる。 

今、電力も次世代エネルギーを巡って、太陽光、風力、地熱等、様々な方法の技術開発が試みられていて、どれが本命なのか、分からない混沌とした状況だ。

アメリカ人は、こういう時に非常に情熱を傾ける。 それはエジソンとウェスティングハウスが作り上げたビジネスモデルを、根底から変えることができるかもしれない可能性が非常に高いからだ。 そして、そのモデルを作り上げた物が、今後、何十年、何百年と市場を支配することができるかも知れない。開発者は、次世代技術を開発したという栄誉と、そこから生まれる金銭的な受益者となり、正に成功者となることができる。 

この本は、多くの事例を紹介しながら、(主にアメリカの)発明者が、どれだけの情熱と努力を傾けるか、非常に良くわかって面白い。

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