Friday, April 22, 2011

周辺技術: 原子力発電と旧日本軍は似ている

あまりにも阿川弘之の「山本五十六」が面白かったので、引き続き同著「米内光政」を読んだ。
こちらは、面白いというよりも、色々と考えさせられる事が書いてあった。

その一つに、日本軍(陸軍、海軍とも)は「ブルドーザー」を持たなかった、と書いてある。研究はすることになっていたが、結局、生産できなかった、と。

一方、米軍は持っていて、占領したガダルカナルなどに、一夜にして本格的航空基地を建設してしまう。 (この基地が、劣勢だった米軍の本格的は反抗開始の重要拠点になるのは、ご承知の通りだが。)

映画「硫黄島からの手紙」では、硫黄島での日本軍の描写が、ストーリーテラーの重要な役柄である西郷一等兵(二宮和也)の妻、花子(裕木奈江)への手紙、「花子、俺は毎日、毎日、土を掘っている。」というセリフで始まるが、人の手とスコップで陣地構築をするでは、結局、加速する米軍の本土進攻に間に合わない、という事になる。

軍隊は戦闘集団なので、航空機や艦隊の艦船は開発するが、目的を達成する為の周辺技術には、殆ど開発しない、興味もない、ということになる。

今回の福島原発でも、結局、万が一の故障時の対応に必要な運用技術(無人操作ロボットや放射線中和技術)は自国では対応できず、結局、米国やフランスに頼らざるを得なかった、ということで、技術集積の浅さが露呈してしまった。 今回のような深刻度の高い原子力事故は初めてではない。 1999年にも、JCOの臨界事故で、正に放射能汚染濃度の高いエリアで、人が危険を冒して作業をする、という事態が発生した。 この経験から、一度は高放射能エリアでも稼働できるロボットの開発が進められようとしたが、結局、絶対安全の原子力発電に必要ない、ということで開発中止となってしまった。

日本の技術開発は、それぞれウニみたいで、針みたいに突出しているものもあるが、全体を見据えて、ボールのように丸く総合的に開発されていかない、という指摘がある。

・旧日本軍であれば、「戦闘」にではなく、「戦争」に勝つ為に必要な総合技術であり、
・原子力発電であれば、効率的で安全な「原子力施設内の設計」だけではなく、万一を想定した「危機管理」の為の技術開発

が必要だった、ということだろうか。 何れにしても、なかなか日本という国は変わらないものである。

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